「ルーマニア・オーストリア公演に参加して」

此度、国際交流基金主催・能楽協会承りの海外公演に参加させて頂きました。
今年はドナウ川流域4カ国(オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア)と日本との外交周年が重なることから、「日本・ドナウ交流年2009」と称し、各国で様々な行事が行われます。そのオープニングイベントとして、オーストリアとルーマニアで、能と狂言の公演が行われました。

武田志房団長の許、シテ方11名、ワキ方2名、狂言方3名、囃子方4名、事務方2名、全22名の団員で、2月3日より11日間、ルーマニアはブカレスト国立劇場、オーストリアはダンスクウォーター・ウィーンで2公演ずつ、計4公演が行われました。
曲目は、狂言「伯母ヶ酒」 能「葵上」でした。
私は、副地頭と最終公演のツレ(シテは関根祥人氏)という大役を仰せつかりました。

客席は全て完売、超満員のお客様は、静かに固唾を飲んで舞台に見入っていました。狂言はやはり分かりやすいのでしょう、会場から笑いが沸き上がりました。
そして、国は変わっても同じ人間、言語や文化を超えて会い通ずるものはあります。葵上にも万場の拍手を頂き、団長の計らいで演者が再登場し、カーテンコールならぬ、揚幕コールで答えました。

公演の前には、毎回ワークショップが行われ、現地の皆さんが、能・狂言の仕草についての解説を聞いたり、仕舞の体験をしたり、また装束の実演を見て戴きました。
質問も飛び交い、関心の深さを実感しました。

海外公演は何と言っても準備が大変です。
渡航前からはじまり、現地入りしての会場の作り、現地スタッフとの打ち合わせ、団員の健康管理など、関係者の御苦労は図り知れません。
私も会場作りと、撤去作業の一部をお手伝いしました。舞台はステージ上に白いフエルトを能舞台を模して敷き、四本柱を立て、揚幕を設置し、鏡板のかわりに松の絵の幕が下げられました。
現地の方は、簡素な舞台装置だと思われたでしょう。しかし能は簡素な舞台の中にあっても、生き生きと描き出され、人々に感動を与えるのです。あらためて能の持つ芸術力・生命力を感じました。


会場外観(ウィーン)

会場内(ウィーン)
※今回はブカレストの写真はありません(陳謝)

ルーマニアがラテン民族の国とは知りませんでした。人々は陽気で、文化的で、親日的でした。チャウセスクの共産主義独裁政権の下で、第二のパリと呼ばれたブカレストの美しい町並みは破壊され、人々の生活は困窮を極めました。現在は自由を勝ち取り、EUに加盟したとはいっても、まだまだ生活水準は貧しいようです。そんな大変な生活をしている人々が能に興味を持ち、足を運んで下さったと思うと、嬉しい限りです。
ルーマニアの国民に幸多かれと祈るばかりです。

一方ウィーンは芸術・音楽の都。実は私クラシック音楽が好きなのです。以前は下手なピアノなど弾いておりました。見るものは全て刺激的で興奮の日々でした。オペラ座では、「サロメ」を鑑賞し、カフェでお茶をし、街並みを散策できました。「日本に帰れば厳しい現実の日々が待っている。できるものなら、このままウィーンに残りたい。」などと、戯言を家族にメールしたところ返事はありませんでした・・・

またウィーンでは、日本食が注目されているようでした。街角に、寿司のテイクアウトのスタンドを見つけ、早速飛びつき買い求め、ホテルの部屋でコーラ片手に頬張りました。また公演後のレセプションでのメイン料理も、寿司でした。列席の大統領をはじめ、参加された皆さんは、寿司をぱくついておられました。肝心の味は日本人からすれば??ではありますが、当地の食事よりは美味しく感じてしまいます(ビールは旨かったですよ)。



オペラ座


モーツァルトカフェ


路地からモーツァルトハウスを望む

街並みから宮殿を望む


とても刺激的な意義深い公演旅行でした。
能楽が海外で称賛を浴びた事は、能役者にとってこの上ない喜びであると同時に、尚一層の精進の意を新たにしました。

団長をはじめ、ご一緒させて頂いた団員の皆様(日頃接する機会のない梅若の一門の皆様も親しくさせて戴きました)、事務局、大使館の皆さんをはじめ、関係諸氏に、僭越ながら団員のひとりとして、心より御礼申し上げます。
そして御来場戴いた、ルーマニアとオーストリアの皆様、地球の反対側から、有り難う!!

「ムルツメスク、ダンケ」
(克宏 記)




年頭にあたり謹んで御挨拶申し上げます。
旧年中は格別なる御厚誼を賜わりまして誠に有り難うございました。
本年も「衆人愛敬(しゅうにんあいぎょう)」の精神をもって、尚一層精進して 参ります。
何卒よろしく御願い申し上げます。
皆様の御健勝、御多幸を祈念申し上げます。


2009.1.1
下平克宏
演能の会




「能との出会い」
此度、ホームページを開設致しました。公演情報や記事を、アップして参りたいと思います。

私は群馬県高崎市で生まれ、両親共高校の教師という家庭で育ちました。幼い頃からピアノを習い、高校生の頃にはクラシック音楽にのめり込んでおりました。その頃の能との接点といえば、高校の鑑賞教室で、能「羽衣」と狂言「柿山伏」を鑑賞した事くらいで、演者は誰で何流だったかなど、全く記憶にありません。もしかしたら、失礼ながら白河夜船に揺られていたのかもしれません。

そんな私と能との出会いは、学習院大学入学の際に勧誘を断りきれず入った、学生のサークル(観世会部)によってもたらされました。当初は軽い気持ちで始めましたが、知らず知らずのうちに、能の魅力に心を奪われてゆきました。

その後、先輩の勧めで今井泰介師の許で素人の弟子として稽古をはじめ、また今井師の勧めで藤波重満師の許へ、通わせて戴くようになり、大学4年の時に、正式な内弟子として入門させて戴きました。

思えば、能との出会いは必然であったようにも感じます。そして、確かな事は、能が私にとって、未知の魅力に満ち溢れたものであるという事です。

これからも時々の初心を忘れる事なく、精進して参る所存です。

今後共、何卒宜しくお願い申し上げます。(下平克宏記)